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各州の特色

ここでは私が訪れたことがある場所を中心に紹介します。必ずしも旅行者が行ける場所ばかりではないのでメールか掲示板でお問い合わせいただければ個別のご質問にもお答えします。

カチン州(Kachin State)

州都:ミッチーナ
人口:約120万人
面積:約89,000平方キロ

ミャンマー最北の州である。「カチン」とは踊りが好きな人というビルマ語から来ているらしい。ビルマ語の造語で実際にはカチンという民族は存在しない。ミャンマー政府がカチンと総称する民族には主なもので6つある。ジンポー、ラワン、リス、ザイワ、ラチ、ローウォーで、それぞれに固有の言語、文化、生活様式を持つ。これらに加えてシャン州からのシャン族も多く、ネパールから移住してきた「ゴルカ」と呼ばれる人たちも多く住んでいる。各民族はそれぞれ個別に村を形成し分かれて住んでいる。近年では一つの村に複数の民族が住んでいることもあるが、言語の違いなどから交流は限定的である。

地形は北部に高い山々があり、もっとも有名な山は万年雪を抱くカカボラジである。また南部へ行くほどエーヤワディ川流域に少しずつ平野が広がっていく。カチン州は天然資源に恵まれており、砂金、ルビー、ヒスイなど採取でき、チークなど森林資源も豊富である。川かさが下がる乾期にはエーヤワディ川で砂金を採取する人々を多く見かける(下の写真)。また野生動物の宝庫でもあり、インド象、トラ、ヒョウなどが生息しているといわれるが、近年では密猟により数を減らしている(National Geographicに掲載された)。降雨量は場所によって1500mmから3700mmと幅があり、10年に1度ぐらいの割合でエーヤワディ川が氾濫する(そういう私は20年に1度といわれる大洪水をミッチーナで体験した)。エーヤワディ川で砂金を採取する人々

カチン州は北と東を中国(チベット自治州、雲南省)と、そして西をインドと国境を接している。これらの国との国境は山によって隔てられているが、中国との往来は非常に活発である。中国の援助により完成した立派な道路がワイモーから中国国境に向けて伸びており州都のミッチーナからでも3、4時間ほどで中国へと行くことができる(乾季)。街には中国製品があふれる。代りに出て行くのは天然資源である。特にチーク材に代表される森林資源の枯渇は危機的な状態である。しかしこの交易から恩恵をこうむるのは一般庶民ではなく、中国人に利権を売り飛ばすカチン州の有力者達である。カチン州の貧しい住民は厳しい労働に耐えて木々を伐採するが中国人からは二束三文で買い叩かれる。このような中国人業者は中国へと運搬したあとで高値で売りさばく。木材だけでなく、ヒスイや金にも中国人の触手は伸びている。

カチン州は長年にわたりカチン独立機構(KIO=Kachin Indenpendent Army。元KIA=Kachin Independence Army。)とビルマ政府の間で内戦状態にあった。農村に住む人々はおびえながら暮らしていたが、1994年に停戦が締結されて今は平静を取り戻している。

交通・アクセス
州都ミッチーナへは飛行機が一番手っ取り早い。ミャンマー航空が週3便運行している。雨期には休航になることも多い。マンダレーからは鉄道やバスが運行しているが1日はかかる。バスは道路の状態が悪いのでお薦めできない。

カカボラジ山のふもとの街プータオへもミャンマー航空で行ける。バスでもアクセスは可能ではあるが乾期のいちばん道路状態がよいときでも軽く1週間はかかる。雨期になると陸路でのアクセスはほぼ不可能でプータオは完全に孤立する。その他の街へは主に陸路で移動することになるが、ミッチーナから南へはエーヤワディ川を行き来する定期便を利用することもできる(外国人旅行者は恐らく無理)。

チン州の山々

チン州

州都:ハッカ
人口:約50万人
面積:約36,000平方キロ

チン州は全土が険しい山々で覆われている。チン州の最高峰(ビクトリア山。標高約3千メートル)は南部にあるが、一般には北へ行くほど山の標高は高く、大きな街でも1500mから1800mほどの尾根の上にある。雲の上に街があるような錯覚に襲われ、まるで天空の街である。チン州の人々はまさに山岳民族という名にふさわしい生活を送っている。川が流れる谷底では水が豊富にあるにも関わらず、不便な山の上での生活を頑なにまた誇り高く守りつづけている。

チン州の西と北はインドとの国境がある。また南西の短い国境線をバングラデシュと共有している。インドとの交易は盛んで、チン州から多くの人々が出稼ぎに出たり、家畜や農産物を売りに出かける。多くは徒歩で、2、3日の山道の行程はこの山岳民族にとっては日常茶飯事のようである。

チン州の田園風景チン州は地形と交通の上から主に北部と南部に分けられる。北からトンザン、ティディム、ファラム、ハッカ、タンタランという5つの郡があるのが北部。マドゥピ、ミンダッ、カンペラッ、パレワが南部。この区分けは非常に明快で、北部と南部はお互いに車での行き来ができない(もちろん人々は徒歩で移動する)。北部のもっとも南に位置するハッカからマドゥピへ行くには、いったん州外へ出て大回りをする必要がある。さらにパレワは南部に属すると書いたが、実は南部の郡からは直接のアクセスが不能で、ラカイン州から川を上らないと行くことができない。つまりパレワへの唯一の交通手段は船だけである。まさに陸の孤島。このように私たち日本人にとっては想像を絶するような交通の不便なところがチン州である。

しかしチン州は美しい自然と景観を持つ州でもある。高い山と深い谷、谷底を流れる川、珍しい高山植物、色とりどりの花たち。一度は訪れていただきたい場所ではあるが、残念ながら政府によって外国人の北部への訪問は制限されている。

籠で薪を運ぶチンの女性チン州に住む人々は自分たちをチンとは呼ばず、それぞれの部族の名前で呼ぶ。元々チン州にはそこに住む人たち全体を統括する名前はなかった。一説によると、チン山地に住む人々が籠をかついで険しい山道を歩いているのを見てビルマ族がビルマ語の籠(かご)を意味する「チン」という言葉を使ったのが名前の由来といわれる。しかし実際に険しい山や谷をいくつか越えると、チン州には全体を統括するような概念は元々なかったということは容易に想像できる。距離としてはわずか150kmほどしか離れていないハッカとティディムの人たちは地元の言葉では会話ができないのでビルマ語を使うほどである。ちなみにハッカとティディムの間にはインドを源流とするカラダン川が流れており、険しい山道を谷底まで下りてまだ登らなければならない。

カラダン川の谷 チン州の村々ではまだ昔ながらの生活を営んでいる。元々チン州の人々は焼畑で生計を立ててきた。土地は部族ごとの共有財産で、毎年場所を変えて畑作(トウモロコシが主食)を行い、収穫のあとは7年から10年ほどは同じ土地で耕作をしなかった。しかし近年は人口増に伴い土地を休ませる間隔がだんだんと短くなり、その影響もあって裸同然の山々を多く見かける。また燃料となる薪のための伐採も森林減少の一因となっている。

交通・アクセス
ヤンゴンあるいはマンダレーからはチン州北部へ行くには、まずザガイン管区のカレイの空港へ飛び、そこから車でアクセスする。州都のハッカまでは約9時間から10時間はかかる。またマンダレーからバスや車での移動も可能ではあるが(外国人は許可されない)乾季でも15時間以上はかかる。またチン州南部へはニャウーから車で移動することになる。パレワへは上記のようにラカイン州のチャウトーから船で5時間ほど。


ラカイン州

州都:シットウェー
人口:約270万人
面積:約36,000平方キロ

ラカイン州は西をベンガル湾、東をラカイン山脈に挟まれ、南北に細長い州である。ベンガル湾一帯はサイクロンの被害を多く受ける地域でありラカイン州も例外ではない。ビルマ族が多く住む上ビルマに距離的には近いがラカイン山脈によって隔たれている。また南北に長いためラカイン州の中でも文化的に大きな差がある。南部はビルマ文化の影響が大きく、ほとんどの住民がビルマを話す。しかしこの南部出身の人によれば、彼のビルマ語はラカインなまりでビルマ人には通じず、かといってラカインの言葉も正確にはしゃべれないという中途半端というか面白い地域のようである。一方で、ラカイン州の北部はビルマ族からの影響は南部に比べて少なく、むしろバングラデシュやインドとの結びつきが強い。

ラカイン州に住むのは主にラカイン族で、宗教はビルマ族と同じ仏教である。ラカイン地方の歴史は古く、紀元前から王国が栄えていたという説もある。もっとも有名な王国はムラウー朝で1433年に建国され、ビルマ族のコンバウン王朝に滅ぼされる1784年まで352年間にわたって栄華を誇った。往時には近隣のアジア諸国はもとより中近東やヨーロッパの国々とも交易があった。オランダ、スペイン、ポルトガルなど外国人居住区の跡地も残っている。日本人もいた形跡があり、話によれば侍が王様の警護をしていたという。当時の栄華を思わせるパゴダや寺院、そして宮殿の跡地は今でもムラウー(ビルマ語発音はミャウー)に残っている(写真ギャラリーへ)。バガンとは異なりムラウーでは1、2km四方ほどの地区にところ狭しと石の仏舎利塔が立っている。保存状態は決してよいとはいえないが訪ねて歩く価値は十分にある。またムラウーから40kmほど北にはマハムニ仏像で有名なパゴダがある。

ラカイン州の州都があるシットウェーは昔アキャブと呼ばれた都市である。第二次世界大戦では重要な軍事港として栄え、日本軍と英軍との戦闘が激しかった地でもある。距離的にバングラデシュと近いこともあり多くのイスラム教徒を見かける。顔立ちもビルマ族よりはインド系の様相である。ここから北西へボートで8時間ほどマユ川をさかのぼるとブティダウンという街に着く。このあたりは一見してビルマやラカインとは異なる顔立ちの人たちを多く見かける。バングラデシュに居住するベンガル人である。ベンガル系住民はすべてイスラム教徒といってよい。このベンガル系住民が集中して居住しているのがマウンドー(郡)である。マウンドーの人口の90%はベンガル系といわれる。ここはブティダウンから車で西へ1時間ほど山道を行ったところにある小さな街である。バングラデシュは川を挟んで目と鼻の先である。昼でも肉眼で対岸の建物が確認できるし、夜になると町の明かりが見える。どう見ても対岸のほうが栄えている。当然、物資の流れも活発で、バングラデシュ側からはさまざまな日用雑貨がミャンマーへと入ってくる。ミャンマーからはあまり出て行くものはないが主に米などの農産物が輸出されているようだ。近代以前はもちろんこのあたりに国境などなく住民は自由に行き来していたに違いない。民族間の争いもあり、ラカイン族の村で聞いた話では、つい50年ほど前にベンガル系住民によって家々を焼かれて村人が追い出されたそうだ。1991年から92年にかけては軍事政権による弾圧を恐れた推定25万人のイスラム教徒たちがバングラデシュに難民として流れ込んだ。この難民を帰還させるための支援が10年ほど前から続いていて現在までに23万人以上がミャンマーへと帰還しているが、戻った先の生活は帰還する前と比べて必ずしも楽ではない。

交通・アクセス
シットウェーまではヤンゴンから飛行機で45分ほど。ムラウーへはそこから船で6〜8時間。ブティダウン、マウンドーへは船でのみアクセス可能。ただし通常外国人旅行者による訪問は許可されていない。


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