管理人の自己紹介


赤楚 宏幸 (あかそ ひろゆき)


みなさん、こんにちは。サイトの管理人、赤楚です。

高校生のときは漠然と「国連で働くのも面白いかなあ」と考えていた記憶がありますが、まさか本当に国連で働くことになろうとは。その頃からなぜか海外に興味を持ち始め、卒業後は渡米し大学へ通いました。大学のときは、将来は何をしたいというビジョンもなく、単に興味のあった国際学という獏とした学問を専攻しました。

94年6月には大学を卒業して帰国したのですが、就職活動もせず、これから何をしようかと悠長に悩んでいました。実家のある大阪で某英語学校の英語講師を勤めたり、友人の紹介で震災後間もない神戸で復興やまちづくりの仕事のお手伝いをアルバイトとしてしていました。

2年間で貯めたお金で再びアメリカへ戻り、大学院へ通い始めたのが96年8月。そのときはすでに国際協力の仕事を意識していました。それに「開発は都市から始まる」という思い込みがあったので、都市・地域計画という実践的な分野を勉強することにしました。

98年5月に大学院を卒業し、日本にある建設系の開発コンサルティングの会社に入社。28歳での新卒採用でした。その後約6年間、主に国際協力機構(JICA)の仕事で、発展途上国の開発プロジェクトに関わりました。新入りのペイペイでしたが、中南米、東南アジア、アフリカの国々10カ国で主に調査や計画の仕事を経験させてもらいました。でも、2001年ごろから関心がモノ(インフラ、ハコモノ)からヒトへと変わるのが、自分でも面白いほどでした。考えてみれば、大学の頃から関心の対象が大きくて漠然としてものから、小さくても実感のあるものへと変化してきました。国際から国・地域へ、国から都市へ、そして都市から農村へ。いまは農村の中でも、特に貧しい人々が自分たちの手で開発を進めていくためのお手伝いをしています。「開発」とは私たち一人ひとりの変化や成長だと自分では考えています。

いまの仕事に就いた経緯について少し。2003年2月ごろに、国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)東京事務所のホームページをたまたま見たときに、ミャンマーで国連ボランティア(UNV)を募集しているのを知りました。農村開発プロジェクトのスタッフとしてのポストで、担当分野は参加型村落開発(Community Development and Social Mobilization)と、私がやりたかったことそのものです。まさに「渡りに船」とはこのこと。でも、当時は会社勤めでしたし2年間の任期ということもあって少し考えましたが、応募することに決めました。5月に採用試験(書類審査、電話面接)を受け、6月には内定をいただきました。でも、諸々の手続きが遅々として進まず、実際の赴任は翌年3月で、この間はかなり悶々とした日々を送りました。いまとなっては懐かしい思い出です。

いまは首都ヤンゴンにあるアパートで妻と二人で住んでいます。インヤー湖のほとりにある住み心地のよいところです。毎日車でカンドヂー湖畔にあるUNDP事務所へ通勤しています。現場へはほぼ毎月一度、1週間から2週間ほど出張しています。


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