お金がありすぎて困る?

2004年7月7日

お金がありすぎて困るなんて、贅沢な悩みに聞こえるでしょうか。でも、草の根レベルで開発を支援しようとするとそういうことが往々にして起こるのです。

国連に限らず、多くの援助機関で問題となるのは、開発の当事者(村人など)のニーズよりも援助機関のルールや思惑などが優先されることがあるということです。国連といえども日本のお役所と同じで、「予算消化」というのは大きな問題です。予算を消化しないといけないというプレッシャーは、国連内部からもありますし、相手国政府からもあります。せっかくあるお金を使わないとはどういうことか、けしからん、ということでしょうか。もちろん現場では有効に活用しようとはしますが、ときには時間的制約のために、住民への影響をあまり考慮せずに、お金を投入してしまうことがあることは否めません。貧しい村で、短期間に大きなお金を投入することは、弊害こそあれいいことはほとんどないといってもいいでしょう。

CDRTでいえば、本当は外からのお金を入れないほうがよいSRGに対しても、比較的大きな金額(メンバーあたり約15ドル)が入ってしまいます。しかも、悪いことに、プロジェクトには期限があるので、まだまだ未成熟なSRGに対してもお金が入ります。これは、組織がしっかりしていなくても資金援助が受けられるのだ、自分たちはうまくやっているのだ、というような間違った印象をSRGのメンバーに与えてしまうことになります。それに、外からお金が入ることによってメンバーの自立心を壊してしまうことにもなります。人は自分のお金は大切に使いますが、他人のお金を使うときには無頓着です。設立当初は、緊急時の現金を確保できるようになり、そのメリットを肌で感じていたSRGメンバーたちも、外から資金が入ると、そのありがたみを忘れてしまうことになるケースが多く見られます。

CDRTがモデルとしているMYRADAではSRG(彼らはSHGと呼ぶ)へ資金投入を絶対にしないそうです。CDRTがSRGを通じて資金投入をする理由は、貧困層をターゲットとするための仕組みとしてSRGを活用しているためです。もともとSRGは貧しい人だけが加入できる決まりになっているので、SRGを通して生計向上活動を支援することにより、自動的に貧困層をターゲットとすることができます。しかし、逆に言えば、プロジェクトの決まりとして、SRGを通じてしか生産活動の支援ができないので、SRGが機能しているかどうかに関係なく、期限が来れば資金を投入せざると得なくなります。結果として、上述したように、各メンバーや組織としての自立心や主体性を壊してしまうことにもなります。今ではこのような状況を改善しようと別のアプローチを考えており、これについてはまたいずれお話します。

本来であれば、村人が自主的に開発を進めていくための契機をつくる開発プロジェクトでは、外部者の側で「待ち」の姿勢が欠かせません。ときには外部者からの提案や介入も必要でしょうが、基本的には村人が自分たちで何かをしようと思い立ち、意思決定をし、そのために自分たちでできない部分の支援を外部へ依頼するという形が自立発展を促すための開発支援には不可欠です。つまり、住民の自立発展を目指した開発では時間が必要なのです。これを、支援する側の都合で、特定の期限を定めたり、使う金額(時には使途も)を決めたりすると、どうしても無理が出てきてしまいます。このあたりは、すでに組織としてのルールが決まっている援助機関にとっては大きな問題ですが、やはり住民自身による開発を支援するには、私たち外部者も変わっていかないといけないのでしょう。


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