現場ジャーナル 4月25日-5月1日


自問自答

2005年4月29日(金)

いま自分に何ができるか?
という問いは、あまりに漠然すぎて答えにくい。

火曜日の自分への問いかけを引きずっています。
というか、考え続けることは大切ですよね。
そんなに簡単に答えは出ません。

でも
「自分に何ができるか?」
という問いを
「自分は何を残せるか?」
という問いにしてみたら
自分の中で少し何かが変わった、かな?

国連ボランティアとしての私の残りの契約期間は約10ヶ月。
契約を延長する可能性もありますが、
この10ヶ月で
私はこの職場(プロジェクト)に何が残せるのか?
2006年2月末で去るにしても
私は何かを残して去りたいです。

私がいつも読んでいるメルマガの発行者の人が書いていました。
職場(もっと大きくいうと人生)に
残すものには4段階あると。
第1段階は、仕事の成果を残す。
第2段階は、文書を残す。
第3段階は、仕組みを残す。
第4段階は、文化を残す。

第1段階の「成果」の積み重ねは大切ですが
それ以降の段階につながるかというと、
そうでもないようです。

第2段階の「文書」とは私の場合は、
ガイドラインやマニュアルなどです。
実用的でわかりやすいものを心がけ、
スタッフや村の人に活用してもらえるものを目指しています。

第3段階の「仕組み」を残すとは
仕事の仕方・進め方をシステマティックに組み立て、
より効率的・効果的にすることかな。
また村では、
村人が主体的に動き(やる気)
自分たちの村をよりよくしていけるような
「場」とか「きっかけ」
を提供することかなと思っています。
これは私が直接働きかけることではないので、
(もちろん直接関わる機会もありますが、あえて)
現場のスタッフが働く仕組みや文化が重要になります。

職場における「文化」を残すということは、
スタッフ個々人の内面、
特に信念や価値観に影響を与えることだと思います。
そしてチームとして、組織として
お互いに協力して仕事をして
相乗(シナジー)効果を生む。

そのために
お互いに尊重しあい、学びあい、
個人個人が成長できるチームを目指しています。
そんな「文化」の創造に一役買いたいです。

文化の創造のために私は
スタッフの研修を何度も実施したり
現場で意見を交換したり
気づきや学びを促したり
しています。
まあ、限界はありますが・・・。

たとえば、参加型の研修をやっていると
参加者の価値観が変わっていくのがよくわかって
そのパワーを実感します。
ただ、実際の現場で
その価値観に沿って仕事が行われているのか、
その価値観の変化は持続しているのか
その価値観の変化が村人の生活にいい影響を与えているのか、など
短期の研修の効果を見極めると同時に、そのあともしっかりフォローをして
「文化」を一人ひとり、そして組織の中に根付かせたいです。

こう書いてみると、
ちょっと頭がすっきりしました。
自分の中では小さなブレークスルーかな?
ではまた来週!

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ヤンゴン市民の不満とは?

2005年4月28日(木)

いやー、毎日暑いです。
驚いたことに、
車の中に放置しておいていたペットボトルが熱で溶けて、
口のちょっと下の部分がひん曲がっていました。

そんなすさまじい暑さが続いているので、
ここヤンゴンの人たちの生活はとてもたいへんなようです。
でもたいへんなのは暑さだけではありません。

電気がない。
水がない。

電気がないから、
テレビは見られない、
カラオケもできない。
エアコンも扇風機もつかない。
暑くて眠れない。

水がないから、
水浴びができない、
ご飯がつくれない。

不快指数がどんどん高まっていきそうです。

なぜ電気がないか。
ヤンゴンへ電気を供給している発電所は数ヶ所あります。
ディーゼルやら天然ガスやらを燃料にした火力発電所。
川の水を利用した水力発電所。
なかでも、いちばんメインの発電所は、
カヤー州にある水力発電所だそうです。
火力発電所のほうはというと、
ガスのほうは動いているみたいですが、
ディーゼルのほうは機械の故障とかで何年も動いていません。

カヤー州の水力発電所はというと、
いまは暑季でほとんど雨が降らないので
水位が下がっていてあまり役に立ちません。
それに悪いことに、
反政府勢力によって送電線の鉄塔が破壊されたという噂もあります。

というわけで、ヤンゴンの街は深刻な電力不足です。
限られた電気を共用するために
電気の使用は地区交代制になっています。
電気が来る日と来ない日が交互にあります。
しかも24時間来るわけではなく8時間とか。
しかも夜中に割り当てられる日もあるとか。
そんな〜、寝ているときに電気が来ても…
という感じでしょうね。

電気が来ないとどうなるか?
水も来なくなります。
浄水場から水を送るのにはポンプを使いますね。
でも、ポンプ場のポンプを動かすための電力が
ない
これはちょっと信じられない話ですが本当のようです。
また仮にポンプ場が稼動していて、
家のすぐ近くまで水が来ていても、
アパートの上のほうに住んでいる人は
その水をポンプでくみ上げないといけません。
そうです。
また電力が必要なのですが、これがまた
ない。
なんでも、ヤンゴンのアパートでは
送水管から水をくみあげるのは、
各戸に据え付けたポンプでやるそうです。

さらに悲惨なのは、
ポンプ場が稼動していて、
電気が来ていて家のポンプが動いていても、
水不足のため、くみ上げる水が
ない
ということもあるようです。

そんなわけでヤンゴン市民の暮らしは楽ではありません。
たぶん彼らが抱えている今いちばんの不満は、
この電気と水でしょう。
次に来るのは、物価の高騰かな?
物価の高騰は年がら年中ですが、
電気と水はいまの季節がいちばんひどいようです。

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感動の整備士

2005年4月27日(水)

きのうの内容は少し深刻だったかもしれませんね。
自分としては、この場でもう少し「本音」を語ってみようと思って書いただけでした。
そんなにシリアスなつもりはなかったのですが、
悩んでいるかといえば、
たぶん、そうなのでしょう。
でも、ある人によると、
「悩んでいるときは進歩しているとき」だそうです。
確かに、
新しい視点が生まれて、それまで見えなかった問題点が見えてきたり、
新しい将来像を描いて、現実とそのギャップを感じたりして、
悩みが生まれるというケースが多いのかもしれません。
もしそうだとすると、新しいことを学び、脱皮するチャンスかもしれません。
悩みを創り出しているこの環境に感謝したいと思います。

さて、きょうはちょっと感動した出来事がありました。
その前に、まずはアンラッキーな話から。

きのうの夜、勤務先からの帰路、
わが愛車の調子が悪くなりました。
運良く、オーバーヒート寸前でアパートの駐車場に着きましたが、
あと少し遅ければ、車が止まっていたかもしれません。

今朝はラジエーターに水を十分補給してアパートを出発。
でも15分ぐらい走って着いた事務所では、
愛車はもう虫の息でした。
ボンネットを開けなくても、
シュー、シュー、という音が聞こえます。
またまたオーバーヒート寸前です。
車の下をのぞくと、水が漏ています。
まあ、言ってしまえば、
私が車のことを何も知らないために起こった問題ですね。

同僚にこの話をすると
すぐに信頼できる整備士に電話をしてくれました。
ミャンマーでも、車の整備士の中にはうさん臭いのがたくさんいます。
(整備士のみなさん、すいません。ちなみに私のいとこは整備士ですがいい人です。)
けっきょく問題はたいしたことなく、
単にエンジンを冷却する水を送るパイプがはずれていただけでした。

でも、この整備士には感動しました。
わざわざ事務所まで来て車をみてくれたのに、
お礼を受け取ろうとしません。
面と向かって話をしても、
とても礼儀正しいですし、
顔つきが穏やかで、誠実そのものでした。
ミャンマーにはまだまだこういう人がたくさんいます。
そして、こういう人に会うごとに、
「ミャンマーっていい国だなあ」
と、つくづく思います。

そのあとすぐに昼ごはんを食べに外に出ました。
暑かったのですが、
木陰で吹くそよ風がとても気持ちよかったです。
いやー、なかなかの午前でした。

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小休止

2005年4月26日(火)

何事でも始めてしばらくすると
立ち止まって考えるようになるものです。
生活の大半を占める仕事の場合は特にそうかなと思います。

わたしがこの仕事を始めて1年と2ヶ月弱。
ここのところ、自分の役割を以前にもまして考えるようなっています。

自分はどのようにしたらもっとプロジェクトに貢献できるのか?
自分の強みをどうやって活かせるのか?
(そもそも、自分の強みって何?)
自分に求められている役割とは何なのか?
自分がやりたいことは何なのか?

いまの自分は力を出し切っていないと感じています。
これは誰のせいでもなく、自分のせいです。
いまのポジションでは、かなり任されて仕事をしています。
結果を出すのも自分次第、出さないのも自分次第。

もっともっとできることがあるはず

何をすればもっと貧しい農村の人たちの役に立てるのか?

1年を経過して
ちょっとした転換期に自分は来ているようです。

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バックトゥヤンゴン

2005年4月25日(月)

こんにちは
18日ぶりの更新です。
きのう日本から戻ってきました。
日本はいまが1年で最高の季節ですね。
ミャンマーはいまが一番暑いときです。
湿気はそれほど感じませんが、
なんというか、体にまとわりついてくるような暑さです。
どこにいても暑い、アツイ、あつい!
40度を超えている地域もあるようです。

きょうは4月末で退職するスタッフの簡単なお別れ会をやりました。
といっても、アイスクリームをみんなで食べて、
プレゼントをあげて、
ちょこっと世間話をして終わりです。

このスタッフは全スタッフのなかでも
CDRTで働いた期間が一番長い人でした。
CDRTが始まったのが94年。
そのすぐあとから働き始めたそうです。
さいごはナショナルスタッフで一番上のポジションにいました。
年齢が70に近いので退職ということになりました。

おどろいたことに、
この人はこのあとも仕事を続けるようです。
けっして、仕事人間というわけではありません。
ミャンマーでは保険とか年金とかいうものがありません。
仕事を辞めた瞬間に収入もストップします。
たぶんそんなわけで、
年をとっても仕事を続ける人が多いのかもしれません。
役所には定年退職がありますが、
月3000チャット(300円!)の年金ではなんにもできませんよね。

もっとも、保険や年金がない国では、
それにかわるような仕組みが社会にあります。
家族です。
子どもたちは親にとっての「保険」なのでしょう。
といってしまうと元も子もありませんが。
でも、わたしはいつもミャンマーの人たちに感心します。
とくに若い人たちに、です。
ミャンマーの人たちは本当に親孝行で、家族のことを考えています。
親の面倒を見るのはあたりまえという感じです。
10代や20代の若い人たちでも、
親の面倒をよくみています。
道を歩いていると
年老いた親の手を引いた人をよく見かけます。
ほほえましい光景です。

そういえば、
きのう空港からの帰り道、タクシーが信号待ちをしているとき
街灯もなくてまっくらな道端で、おばさん二人が
「ガハハ」
と笑いながら世間話をしているのを見かけました。
こんな光景に出遭うと、
あー、ミャンマーに戻ってきたなあと感じます。

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