現場ジャーナル 1月17日-23日

2005年1月17日(月)

来週からの研修プログラムを先週からずっとつくっています。ERICから学んで今回使いたいキーワードは、『集中、分析、発見、共有』と『「気づき」から「築き」へ』です。今日は先輩ファシリテーターのブログにこんな書き込みを見つけました。「それぞれの原則を40名の参加者が具体的に体験でき、「なるほど!」と気づきを得るような、アクティビティを創りたいと思います。」

「開発に関する概念」のアクティビティはだいたいできたのですが、果たしてそれが「なるほど!」につながるのか、そしてそれがさらに行動へとつながるのか。つなげられないとあまり成功とはいえません。

例えば、「開発」を考えるのに「慈善事業」と対比させて考えてもらいます。そのためにロールプレイを使います。話は単純です。

ある男が森を歩いていると動物を捕まえる仕掛けとして掘ってあった穴に落ちてしまいました。この男は、「誰かぁ、助けてください。私をこの穴から出してください。助けてくださーい!」と叫びますが誰も助けには来ません。3日経ってあきらめかけたころ、ある人が通りかかって言いました。「ロープがないので引き上げてはあげられないが、これから毎日使いを寄越して食べ物を届けさせましょう。」ラッキーにもこの人はお金持ちだったのです。そして約束どおり毎日食べ物が届けられました。でも、このお金持ちが急に亡くなってしまい、そのあとは使いが来なくなってしまいました。穴の中の男はおなかがすいて助けを呼びます。2、3日してやっと誰かが通りかかりました。男は、「助けてください。おなかがすいて死にそうです。食べ物をください。」といいます。通りかかった人は、「私はきこりで食べ物をあげることはできませんが、その穴から出してあげることはできます」といって持っていたロープで、男を引き上げました。

さて、この話で「開発」と「慈善事業」の違いが言えますか?どちらの人がよいことをしたのでしょうか?お金持ちですか、きこりですか?その理由は?穴の男の助けを求める叫びが1回目と2回目では異なっていたのはなぜでしょうか?

穴の中に人を置き去りにして食べ物だけを与えるという行為は現実にはあり得ないと思いますか?でも、それと同じくらい理不尽なことが実際に行われているのです。貧しい人は自分たちの力だけでは何もできない、外部者が何かをしてあげないといけない、といった考えで彼らに接することは彼らを穴の中に閉じ込めておくのと同じことなのです。


2005年1月18日(火)

研修の準備で忙しくなってきましたが、今日はそんなことはちょっと忘れて。あるビルマ人から面白い話を聞きました。

89年か90年ごろにミャンマーでは英語を使うのはもうやめようという話になり、外来語をビルマ語へと翻訳しようとしたそうです。日本でもそうですが、ミャンマーでも英語などからの外来語をそのまま使っています。このときは先の大戦の日本とは異なり、英語圏の国に対する敵対感情からではなく、自国の文化を守ろうという試みだったみたいです。

例えば、今は自動車は「Motor Car(発音はモトカー)」と呼ばれていますが、これを「自動で動く車」のような感じで訳そうとしたそうです。それもすべての外来語ですから、それはたいへんなものです。私は日本の例を思い出して、「日本でも太平洋戦争中に同じようなことをしたんだよ。傑作だったのは野球のボールとかストライクまで変えたんだ。」と言うと、このビルマ人が当時のことを思い出して面白そうに言いました。「そうそう、こっちでもフットボール(サッカー)の用語を全部ビルマ語にしようとしたんだ。「ボールを蹴る競技」みたいにね。でも、あまりに長い名前になっちゃって誰も使わなかったんだよ。だいたいフットボールと一言で済むところが、書くときに2行も3行にもなったら新聞もたいへんだからね。」さらに話は続きます。「あるコメディアンがこれをジョークにしてステージで話をしたんだ。すると…。」みなさんは、どうなったと思いますか?


2005年1月19日(水)

今回の研修では私はできるだけ裏方に回ることにして計画しています。実施体制としては、私が全体を取り仕切り、その通訳兼アシスタントを1人、さらに3人に実際のファシリテーションをやってもらう予定です。いわゆるチームファシリテーションを試みるというわけです。

現場事務所のスタッフにトレーナーとしての経験を積んでもらおうというのがねらいです。参加型アクティビティをベースにした研修の経験はあまりないので、研修の内容や質という点では落ちてしまう可能性はありますが、そこは何とかサポートしていくつもりです。ですから、今回は新入りスタッフの研修と現役スタッフの研修実施の経験という2つの目標を追いかけるという格好になっています。

現場から呼んだのは40代の女性スタッフ3人で、この人たちがおもに研修を行います。まずは、私が作ったプログラムを理解してもらい、お互いに試してみて、必要があれば変更を加えるということになります。来週月曜日から本番ですからもうあまり時間もありません。だんだんと焦ってきました。


2005年1月20日(木)

あまり馴染みのないことでも研修で伝える仕事を任せられることがあります。今回は「交渉」についてのスキルを練習する予定です。私にとっては関心はあってもほとんど扱ったことがない分野ですので、経験になりますし新しいスキル習得のチャンスです。

馴染みがないので当然、事前勉強が必要になってきます。あくまでも付焼刃ですが。今回は国際理解教育センター(ERIC)から出版されている「対立から学ぼう」やGetting to Yes、そのほかNLPの書籍などを参考にしています。その中でもやはりERICの教材はとても参考になります。もともと参加型で対立の概念からその扱い方、解決の方法などを学べるようにアクティビティをベースにしてカリキュラムおよびプログラムが開発されているので、うちの研修でもほぼそのまま応用ができます。

しかし、いまさらですが、対立を扱う交渉や調停、仲裁という分野は広く、奥が深いです。これを機会に自分のスキルの一つとしてさらに深く学んでいきます。


2005年1月21日(金)

今日はイスラム教徒の祝日で事務所は休みです。でも、研修の準備があるので事務所へ来ました。ヤンゴンではイスラム教徒の姿をよく見かけます。独特な衣装を着ているのすぐにわかります。ベンガル系の住民が多いようです。また、パゴタ(仏教)とモスク(イスラム教)が隣同士に建っている場所もあります。ただ、他のイスラム国家とは異なり、大音量のお祈りの声はあまり耳にしません。

住んでいるとついつい忘れがちですが、ミャンマーというのはほんとうに「ふしぎの国」です。研修のプログラムを組むのにも、政治的に気をつけないといけないことがあります。実際、こういうことを書いている今も、その内容や言葉遣いには常に意識しています。政府関係者が見ているかどうかなんてわからないのですが。

例えば、Sustainable Livelihoods(持続可能な生計)という概念があります。開発支援の一つのアプローチとしてよく出てくる概念ですが、要は一つひとつの世帯の生計を改善し、持続可能なものにすることを目指す支援のことです。基本的には世帯レベルの話なのですが、当然ながら経済、政治といったマクロレベルの影響も家計は受けます。例えば米の値段一つをとっても、政策的に(密室で)決定されることが多く、この問題を扱うのには少々神経質になります。今回の研修では世帯レベルの話だけに留めておこうと考えていたのですが、今日は上司から指摘を受けてやはり政策の話も少しは触れることになりました。プロジェクトとしては政治的配慮を十分にして、政府からとの良好な関係を保たないことには活動をうまく進めていくことができません。一方で、村や世帯レベルでの支援とはいえ、そこには政治・政策の影響が必ずあるわけですから、これをまったく無視することもできません。このあたりのバランス感覚というのか、ミャンマーで活動するには他の国とはまた違った配慮が必要になってきます。


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